2021年3月11日 東日本大震災から10年、災害と日本と地域と自分

シイノキライター:シイノキ

こんにちは。
副編集長のシイノキ(@info_misatopic)です。

東日本大震災から10年。
実は、○○から○年とか、こういう区切りってあんまり好きじゃないんです。
思い出すきっかけにはなるんですが、何日だろうが何年だろうが現在進行系じゃないですか。
まぁでも、こうやってブログ書くきっかけにもなってるので無意味ではないのだけど。

人間性も天の邪鬼なので、ほんとは振り返り記事もアレなんですけど。
10年ですからね。10年。
……あれ。めっちゃ区切ってるじゃん。

東日本大震災から10年、災害と日本と地域と自分

2011年3月11日。
地震発生時刻は14時46分。

あの日、シイノキは西新宿で働いていました。
混雑を避けて13時くらいから遅めのランチをとり、25Fのオフィスに戻ってコーヒーを飲みながら午後のタスクを片付けていたところに地震がやってきました。

「ん?揺れてる?…結構大きくない?!うおおおお!!また強くなったコレやべぇ!!!伏せんと!!!」

揺れ始めた→えらい強い揺れが来た→更に強い揺れが来た
という二段階構えの揺れ。最初は少しニヤついていた顔から一瞬にして余裕が消えました。
ビルが倒壊するんじゃないかと本気で思った。

免震構造の高層ビルだったのか、地震が収まってもビルは大きく揺れ続けました。
窓の外を見ると、新宿の高層ビル群が同じ用にユラユラとゆっくりと不気味にうごめいてた。
(動画はYouTubeからの借り物)
正面のビルのアプローチにある池の水は、激しい揺れでバシャバシャと溢れていました。

隣のシマのニュースチームは情報集めに動き回り、カメラマン達は機材を片手に外へと飛び出していきました。
その様子を見て『プロの仕事人だな……』と思えるくらいに冷静になりつつあったので、まずは一刻も早くビルから出ようと思った。
この揺れにはもう耐えられそうにない。
当然エレベーターは止まっていたので、非常階段を使うことに。
非常階段スペースの壁には亀裂が何本も走っていて、天井からは割れた資材の粉がパラパラと落ちていた。
正直、マジで恐ろしかった。
ほんとに地震だったのか、地面ってこんなに揺れるのか、どっかの国に爆弾でも落とされたんじゃねぇか。

25Fから必死の思いで脱出。
同じようにビルから脱出した大勢のサラリーマン、近隣の住民の方々がザワザワと集まっていました。
当時の会社の社長が、ビルの前で
「今日はもういいから!帰れる人は帰って!家が遠い人は避難!」
と叫んでいて、この規模の組織に対してこの短時間でこの判断出来るこの人クッソスゲェ!って思った。

しばらく呆然。
冷静なつもりだったのに、すべての荷物をオフィスに置いてきていることに気づいて、俺は割と取り乱してるなってことに気づいた。

帰るっつったって電車は止まってるようだし、足立の家まで一体どうやって…
妊娠中の妻みさ子は無事なのか…
同じく妊娠中の義妹と弟は…
三郷の両親は大丈夫か…
ガタが来ている家に住む祖父母は…

まずは一度、荷物を取りにオフィスフロアに戻ることに。
何人かの同僚たちは、「もうビルには戻りたくない」と、そのまま歩いて帰路についた。
フロアに戻ると、あちこちで悲鳴やら嗚咽混じりの泣き声。
みんなが見ているモニターに目を向けると、すさまじい水流に飲まれて行く車、家、人。

「は?なにこれ?現実??いま?どこ?東北??これ津波なの???」

フロアには実家が東北の人もいたのかもしれない。
あまりに現実離れしている映像で頭は混乱するばかりだった。
帰ることも忘れて映像を見ていると、また別の場所で騒ぎが起きた。
陽も落ち始めた湾岸方向の窓に炎の玉。
コスモ石油千葉製油所の爆発事故だった。
同僚たちの顔は一様に無力感で満ちていた。

その後、家族の無事を確認、20時過ぎに奇跡的に運転が再開された大江戸線で新御徒町まで行き、そこから歩いて三郷へと向かいました。
到着後、安定期がギリギリ過ぎたくらいだった妻みさ子を迎えに再び都内へ。
道中、富士山直下で震度6の余震が起きた時は、日本は群発地震で滅ぶのかと思った。

翌日、福島の原発が爆発。
会社は自宅待機となっていたが、関連会社のある福岡などへの避難を促された。
身重の妻、両親と祖父母、弟家族。いろいろ考えた末、俺は三郷に残りました。その判断が正しかったのかは、まだわからないです。
この辺り一帯は、原発事故当時の風の影響でホットスポットとなっていました。

災害の恐ろしさをまだわかりきっていない

10年前の3月11日、とんでもない経験をしました。
とても現実とは思えない出来事が連続して起こりました。この国全体が、恐怖と不安と悲しみと無力感・喪失感に満たされました。

でも、俺は怪我ひとつなかったんです。
デスクの下に隠れる時にぶつけた頭のにぶい痛みと、十数キロを歩いて帰って傷めた運動不足の足くらい。
家族親類、みんな無事だった。寝る家もあったし、食べ物や水、電気にも困らなかった。
心にそれなりのストレスとダメージはあったものの、『被災』には程遠い。
災害の恐ろしさの10%もわかっていない。

阪神淡路大震災から26年、東日本大震災から10年。
2011年9月台風12号で紀伊半島で死者行方不明者92人、2013年台風26号で死者行方不明者39人、御嶽山噴火で死者57人、2017年7月九州北部の集中豪雨で死者行方不明者42人、2018年7月西日本豪雨で死者行方不明者200人超…
この国で暮らす以上、どうやら数度の大地震、数え切れない自然災害に見舞われるのは確実。
で、おそらく幾つかの災害に直接被災するのも免れない。
人によっては2つ3つ、4つ5つ被災しても何もおかしくない。

あの日、どこで何が起きたのか。
あれから10年、何が起き続けているのか、これから何が起こるのか。
自分はなにを知っていて、なにを知らないのか。
で、なにを知るべきなのか。

10年目だからってわけじゃなく、これは毎日考えなきゃいけないんだろうなって思います。

災害対策と厨二病

もし街でヤンキーに絡まれたら。
もしテロリストに教室を占拠されたら。

健全な幼少時代を過ごした方々は、一度はそんな妄想をしたことがあると思います。
これ、めちゃくちゃ汎用性の高い妄想だと思うんですよ。

もし川が氾濫したら。
もし震度7クラスの地震が起きたら。

2メートルの浸水があるなら、この辺りならあの建物やこの建物なら安全!避難場所指定されているあそこの施設は実は危ない!
大地震が起きた場合、この地区のこの施設が発火する可能性があるから、あっちよりこっちの避難所!
ここらは地盤が弱いから崩落や液状化の可能性もありそう!
みたいな。

15年前、会社の同僚のひとりがリュックの中に水と食料・懐中電灯を入れて通勤していました。
「いつ、なにがあるかわからないじゃん」
あの頃の俺は、水も食べ物も電気も、今の時代どうとでもなるでしょって笑いました。
42歳の俺は、あれは根拠のない楽観思考だったと理解しました。
彼の妄想は正しかった。

命を守るために、年に何度か真顔で話し合いましょう。
「水はウォーターサーバーあるしどうにかなるんじゃない?」
「1人1日3リットル必要らしいよ。30リットルあっても4人家族じゃ3日ももたないよ。」
「行政からの供給もあるでしょ。」
「あるとしたら災害発生から何日目くらいに、どこでどうやって配られるんだろう」

災害時、活きるのは知識・経験・判断・その速度なんじゃないかと思います。

いのちを守る、日頃の備え 防災手帳 – Yahoo!天気・災害

「東京防災」の閲覧

こんなサイトがあります。
話題になった東京防災の中には

マジでこんな内容もあるくらいです。

アウトドア趣味は災害対策にもなってる

6幕目のテントを購入、歴代テントを振り返ってみた

みさとぴハウスには4人家族が快適に暮らせるテントが3つ4つあります。
雨風を凌げるシェルターもひとつ。

ガスコンロも複数あります。

火をおこす手段も、火打ち石、ファイヤースターターがあります。
一度火をおこせれば、次回からの着火を簡略化出来るチャークロス作成のノウハウもある。

アウトドアの醍醐味は日常のリプレイス火起こしスキルの幅を広げてみる

あと、段ボールで頑丈な椅子が作れるんです。
これを応用すればベッドも作れると思うので覚えておいて損がない。
今度、コレでベッド作ってみよう。

【DIY】お花見や災害時などに最適!5分で作れる段ボールチェアの作り方

明かりは充電式LEDが安心です。
複数のモバイルバッテリー、ソーラーパネルなんかを持っていれば尚良。

長女が『自分専用のランタンが欲しい』というのでBarebones LivingのビーコンライトLEDを買ったよ

乾電池は手に入らなくなる可能性が高いですからね。
他にも使えそうなアウトドアグッズが沢山あるので、火災で焼失とかしない限り、ご近所のジジババ友人の方々に、ある程度の助けが出来るんじゃないかなと思っています。
スペースもあるので、プチ避難所みたいな使い方も出来るんじゃないかみたいな。
なので、もうちょっとサバイバルスキル磨いておきたいな。

10年という節目に思うこと

ひとつは、こうやって防災を意識すること。
あとひとつは、15,900人にもなった被害者の方々と、いまだ行方のわからない2525人の行方不明者の方々への哀悼の意。

2011年、我が家には長女が誕生しました。姪も。
神や仏に捧げる信仰心はないのですが、もしも魂が繰り返すのであれば、子どもたちの魂の一部には彼らの魂が宿っているかもしれない。
長女が生まれた時、そんなことを思いました。
少しでも多くの幸せを、彼らの分まで感じられるように生きてもらえたらいいなと願います。

なんかこう。
数々の災害と、それに向き合う心を忘れずに、明日を生きるための奮起をしたいですよね。
何度も失ってたまるもんかと。

三郷市ハザードマップと

最後に、三郷市のブログだったってことで三郷市のハザードマップのリンク貼っておきます。

地震ハザードマップ/三郷市公式サイト

アプリもありますが、正直使いにくいので紙の方がいいです。

指定緊急避難場所・指定避難所一覧/三郷市公式サイト

こちらは避難場所一覧。
主に小中学校が指定されています。使用されるのは校庭や体育館となりそうですね。
水害時などは指定避難場所に囚われすぎず、普段から意識して近隣の高い建物を探しておくのが良いかもです。
会社ビルなどがある場合、緊急時に解放してもらえるように地域でコミュニケーションとっておくっていうのもアリかもしれませんね。

東日本大震災から10年。のりこえるチカラ|3.11企画 – Yahoo! JAPAN

ラストに、今年もこの企画やってるようなので、ぜひ参加してみましょう。

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